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東京地方裁判所 昭和39年(ワ)12134号 判決

原告 マーテイン内藤みどり

被告 彭君頤 外一名

主文

被告らは原告に対し金八〇、〇〇〇円を支払え。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決は第一項にかぎり仮に執行することができる。

事実

(当事者の求める裁判)

一、原告

「被告らは原告に対し別紙目録〈省略〉第一記載の建物を明け渡し、同目録第二記載の物件を引き渡し、かつ昭和三九年九月一日から同四〇年一一月末日まで一か月金八、〇〇〇円、同年一二月一日から右建物の明渡および右物件の引渡ずみまで一か月金二三、〇〇〇円の各割合による金員を支払え。右物件の引渡が不能のときは、被告らは原告に対し別紙目録第二記載の金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言

二、被告ら

「原告の請求はいずれもこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

(当事者の主張)

第一、請求の原因

A  主位的主張

一、昭和三三年三月一日、原告の代理人伊東邦子は被告らと別紙目録第一記載の建物(以下本件建物という)および同目録第二記載の物件(以下本件物件という)につき左記の約定を含む賃貸借契約(以下本件賃貸借契約という)を締結した。この契約において当事者双方は被告らが中国人であり、在留期間に最長限三年間の制限があり、その際には本件建物を明け渡すことになることを予期していたものであるから、この契約は一時使用のための賃貸借契約である。

一、期間 昭和三三年三月一日から同三八年三月三一日まで。同日本件建物を平穏無事に明け渡し本件物件を返還する。

二、賃料およびその支払方法 月額一五、〇〇〇円、毎月一日に当月分を支払う。

三、本件物件の返還が不能の場合の特約 時価相当の損害金を支払う。

四、終了事由に関する特約 本件建物が自然力により損傷し居住に適しなくなつた場合には終了する。

二、原告には本件建物の明渡を請求するための正当事由がある。

(一) 被告らは本件建物を右期間満了まで使用できたのであるから、相当期間居住の本拠を提供されていたわけであり、かつ本件賃貸借契約の終期は前示のように明らかに確定しているから、右時期に明け渡すべきことは被告らにおいて予期したところである。また、被告らには本件建物を使用しなければならぬ必要性もない。現下の住宅事情からみれば借家の発見は困難ではないのみならず、被告らには移転先の予定もある。少なくとも被告らは夫婦二人のみであつて、たやすく他に移転することが可能である。

(二) 原告は米国に居住し、原告の病気の老父内藤伸は原告の姉弥生が代つて世話をしている代わりに右弥生の子供達(原告にとつては甥達)内藤一彦とその弟二名が本件建物を自ら使用する必要がある。また本件建物は自然力により損傷甚しく居住に適しなくなつており、早期改築することを利益とする状況である。

三、本件賃貸借契約は昭和三八年三月三一日かぎり期間満了により終了した。

四、よつて、原告は被告らに対し、本件建物の明渡および本件物件の引渡(引渡が不能のときはこれに代る損害金)ならびに昭和三九年九月一日から同四〇年一一月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金不足分、同年一二月一日から本件建物の明渡および本件物件の引渡ずみまで一か月二三、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

B  第一次予備的主張

仮に本件賃貸借契約が前記期間の満了と同時に終了せず、更新したと認められるとすれば、次のとおり主張する。

一、昭和三八年五月下旬、原告は被告らに対し本件賃貸借契約の解約申入をなした。

二、(一) 原告の右解約申入には、前記A二記載の事由があるほか、以下の状況があり、右申入について正当事由がある。すなわち、本件建物の敷地は元一六五坪五四で東京都の都市計画により道路がほぼ中央を貫通するので、昭和三八年三月東京都は原告に対し道路にかかる部分五五坪〇三を買収することを申し込み、原告はこれを承諾し、同地を二筆に分筆までしたが、被告らはこれを承諾しなかつた。

三、したがつて、本件賃貸借契約は、おそくとも昭和三八年一一月末日かぎり終了した。

四、よつて、原告は被告らに対し、前記A四記載と同旨の給付を求める。

C  第二次予備的主張

仮に本件賃貸借契約が右解約申入により終了したとは認められないとすれば、次のとおり主張する。

一、昭和三八年五月下旬、原告の代理人宇山知博と被告らの代理人もしくは機関たる被告らの子息との間に二年位さきには他へ立ち退く旨の合意が、また同じ頃原告の代理人柿沼五郎と右子息との間に昭和三九年一〇月に開催される東京オリンピツク終了時には他へ立ち退く旨の合意が、いずれも成立した。

二、したがつて、本件賃貸借契約は右合意解約により、おそくとも昭和四〇年六月末日かぎり終了した。

三、よつて、原告は被告らに対し、本件建物の明渡および本件物件の引渡(引渡が不能のときはこれに代る損害金)ならびに昭和三九年九月一日から同四〇年六月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料不足分、同年七月一日から同年一一月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料相当の損害金不足分、同年一二月一日から本件建物の明渡および本件物件の引渡ずみまで一か月二三、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

D  第三次予備的主張

仮に右合意解約により本件賃貸借契約が終了したとは認められないとすれば、次のとおり主張する。

一、原告は被告らに対し、昭和三九年八月二六日被告らに到達した書面で、本件賃貸借契約の賃料を同年九月分から一か月三〇、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をした。

二、被告らは原告に対し、同月分賃料の増額分一五、〇〇〇円、同年一〇月分、同年一一月分の各賃料各三〇、〇〇〇円、合計七五、〇〇〇円を支払わなかつたので、原告は被告らに対し、昭和三九年一一月一二日に被告らに到達した書面で、「右書面到達日から五日以内に右賃料を支払え。右期間内に右支払のないときは本件賃貸借契約を解除する。」旨の履行催告および停止条件付解除の意思表示をなした。

三、しかし、被告らは、原告に対し弁済の提供もすることなく単に月額一五、〇〇〇円宛を弁済供託したにとどまり、右賃料の支払をなさなかつた。

四、したがつて、本件賃貸借契約は、昭和三九年一一月一七日かぎり、右解除により終了した。

五、よつて、原告は被告らに対し、本件建物の明渡および本件物件の引渡(引渡が不能のときはこれに代る損害金)ならびに昭和三九年九月一日から同年一一月一七日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料不足分、同月一八日から昭和四〇年一一月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料相当の損害金不足分、同年一二月一日から本件建物の明渡および本件物件の引渡ずみまで一か月二三、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

E  第四次予備的主張

仮に右解除の効力が認められないとすれば、次のとおり主張する。

一、昭和三八年三月頃、原告は、本件賃貸借契約の賃料および税金納付につき原告の代理人であつた宇山知博を解任し、原告の甥内藤一彦をすべての金員の受領および税金納付につき原告の代理人に選任した。原告は、被告らに委任状を送付してこの旨を通知したのにもかかわらず、被告らは「右委任状には公証人の認証がないから無効だ。」と称してこれを無視した。また被告らは、ほしいままに修理したと称して、賃料に比較して過多な修理費を勝手に賃料からさしひいたり、契約更新の権限がなくかつ英文をよく知らない宇山知博に、英文の当初の本件賃貸借契約書第一〇条を示し、「代理人には当然更新契約をする義務がある。しないときは罰せられる。」と申し向けて同人をしてその旨誤信させ、恐怖させて、更新契約を作らせたり、原告が被告らに何かいうとすぐ「名誉毀損だ。損害賠償請求権を留保する。」等と脅迫する等した。

二、以上のように被告らは原告に対し不信行為をなし、原被告ら間の信頼関係を破壊し、本件賃貸借契約の継続を因難ならしめたので、原告はこれを原因として、昭和三九年一二月二〇日被告らに送達された本件訴状により、本件賃貸借契約を解除した。

三、よつて、原告は被告らに対し、本件建物の明渡および本件物件の引渡(引渡が不能のときはこれに代る損害金)ならびに昭和三九年九月一日から同年一二月二〇日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料不足分、同月二一日から昭和四〇年一一月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の不足分、同年一二月一日から本件建物の明渡および本件物件の引渡ずみまで一か月二三、〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

第二、請求の原因に対する認否

A  主位的主張について

一、第一項中、この契約において当事者双方は被告らが中国人であり、在留期間に最長限三年間の制限があり、その際には本件建物を明け渡すことを予期していたものであるから本件賃貸借契約は一時使用のための契約であることを否認し、その余の事実は認める。ただし、本件賃貸借契約の条項は、同項記載のものにとどまらず、「この契約は更新出来る、更新期間は合意により定まる。」旨の更新に関する条項他を含む。なお、「当事者双方とも被告らが中国人であるため帰国移転することを予想して一定期間の居住を予定して本件賃貸借契約を締結した」旨の原告の主張を認めた被告の主張は、真実に反しかつ錯誤に基づくものであるからこれを撤回する。

二、第二項、第三項を否認する。

B  第一次予備的主張について

一、第一項を否認する。

二、第二項中、(一)を否認し。(二)を認める。

三、第三項を否認する。

C  第二次予備的主張について

第一項、第二項を否認する。

D  第三次予備的主張について

一、原告主張のとおりに原告主張の各意思表示がなされたこと、被告らが月額一五、〇〇〇円宛を弁済供託したことを認める。

二、第四項を否認する。原告主張の賃料増額請求、これを前提とする原告主張の履行催告および契約解除の意思表示は後述(第三、一)のとおり地代家賃統制令違反であるから、その効力を生じない。

E  第四次予備的主張について

原告が被告らに対し内藤一彦を代理人に選任した旨の通知をしたことを認め、その余を否認する。

第三、被告の主張

一、本件建物は昭和二五年七月一一日より前に建築された三〇坪未満の建物であるから地代家賃統制令の適用があり、昭和三九年度の公定賃料は月額一四、一三六円である。本件建物は現況七六・〇三平方米(二三坪)であるが、昭和二三年一二月に新築された当時は五一・二三平方米(一五坪五合)であり、その後昭和二七年に二四・七九平方米(七坪五合)が増築されたものであり、増築部分は旧建物部分と一体をなしている。

二、(一) 昭和三八年三月一日、被告らと原告代理人宇山知博との間で本件賃貸借契約の賃貸借期間を昭和四三年三月三一日までとする旨の合意が成立し本件賃貸借契約は右合意により更新された。

(二)仮に右宇山の代理権が右更新当時消滅していたとしても被告らはこれを知らなかつたし、知らなかつたことにつき過失はなかつた。

三、原告の本件賃貸借契約の賃料増額請求およびこれを前提とした賃料不払を理由とする契約解除の意思表示は、権利の乱用もしくは信義則違反であつて、効力を生じない。すなわち、本来賃料増額請求は、賃貸借契約の維持存続を前提とすべきものであるが、原告は、賃貸借契約解除を期待して、その手段として賃料増額請求をしたものであり、そして、右請求に応じないのを幸いに契約解除をしたものであるからである。

第四、被告の主張に対する原告の認否・主張

一、第一項中、本件建物が被告主張どおりの日時、過程で建築され、その主張どおりの現況になつたことは認めるが、増築部分は旧建物部分とは独立しており、右増築部分については、地代家賃統制令の適用がない。それに加えて本件賃貸借契約の目的物は本件建物のほかに附属家具一式がある。そもそも本件建物は請求原因記載のとおり一時使用のため賃貸した建物であるから、同令の適用がその全部についてない。

二、第二項(一)、(二)を否認する。

三、第三項を否認する。

四、なお、第二、A、一の主張の変更は、自白の撤回にあたり、右撤回に異議がある。

(証拠)省略

理由

A  原告の主位的主張について

一、第一項の事実は、「本件賃貸借契約において、当事者双方は被告らが中国人であり在留期間に最長限三年間の制限があり、その際には本件建物を明け渡すことを予期していたものであるから、本件賃貸借契約は一時使用のための契約である。」という点を除き、当事者間に争いがない。

二、本件賃貸借契約が一時使用のための賃貸借契約であるかどうかについて

米国の公証人作成部分につき成立に争いなく、このことおよび証人内藤(第二回)の証言からその余の部分も真正に成立したと認めうる甲第二六号証および証人内藤(第二回)の証言中には、本件賃貸借契約が一時使用のための契約であつた旨の記載もしくは供述があるが、他方、原本の存在および成立に争いのない甲第三号証、成立に争いのない乙第一号証によれば、本件賃貸借契約には当事者双方の合意により賃貸期間を延長することができ、しかもその延長期間についても制限をおいていない契約条項の存在が認められること、いずれも原本の存在および成立に争いのない甲第二三、二四号証の各二によれば、被告らの在留期間は昭和二七年の来日以来すでに幾度か延長を許可され、被告らは少なくとも昭和四二年一二月一二日までは在留を許可されていることが認められること、および被告彭君頤本人尋問の結果を総合して考えると、前示のとおり真正に成立したと認めうる甲第二六号証および証人内藤の証言(第二回)中本項冒頭に記述した部分はこれをたやすく採用することはできず、他にも本件賃貸借契約が一時使用のための賃貸借契約であることを認めるにたる証拠はない。

事実記載欄第二、請求の原因に対する認否のA、一において、被告は、「当事者双方とも被告らが中国人であるため帰国移転することを予想して一定期間の居住を予定して本件賃貸借契約を締結した」旨の原告の主張を認めた被告の主張は、真実に反しかつ錯誤に基づくものであるから撤回すると述べている。被告は当初答弁書(第一回口頭弁論期日で陳述された)において、右摘記の原告の主張を認めると同時に、同書面において、「被告らも本国人でないから日本にまた同一地域に長く居住の必要もない。」旨の訴状(第一回口頭弁論期日において陳述された)請求原因の記載を否認している。この状況を考えるときは、原告の前記主張を認めた被告の主張はその趣旨が明瞭とはいえず、いまだ自白として効力を生じないものと解するのが相当である。したがつて右主張の撤回は許されるべきであり、これに対する原告の異議は理由がない。

三、したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、原告の主位的主張はすべて失当である。

B  原告の第一次予備的主張について

一、第二項(二)は当事者間に争いがない。

二、証人内藤(第二回)は、昭和三八年五月下旬に直接原告から被告らに対し本件建物の明渡請求をした旨を述べているけれども、具体的にどのような方法で、どういう内容の請求をしたか、右内藤がその内容をどの程度、どういうわけで知つているかについては全く述べていないこと、仮に右請求が文書でなされたとすると、他の場合については各種の通知書、委任状等が書証として提出されているのに右の点については右文書が書証として提出されていないこと、他に右内藤証言を裏づける証拠のないことなどを考え併せると、右証言をたやすく採用することはできず、他にも原告が被告らに対し昭和三八年五月下旬に本件賃貸借契約の解約申入をした事実を認めるにたる証拠はない。

三、次に、本訴提起により解約申入が以後継続的に行なわれているものとみて、正当事由の存否を判断する。

すでに原告の主位的主張に対する判断で説示したように、本件賃貸借契約を一時使用のための契約と認めるにたる証拠はなく、更新条項もあるのであるから、単に当初の賃貸借契約に終期が定められていたからといつて、それのみで右時期に明け渡すべきことを被告らの予期したところであると速断することはできない。また被告らが本件建物を使用する必要性のないこと、他に移転先の予定のあることについては、本件全証拠によるもこれを認めるにたりない。

仮に、内藤一彦が原告の甥であり、同人の母が原告に代つて原告の病気の老父を世話している関係上、原告としては右内藤に本件建物を使用させる責任があり、右内藤が自ら本件建物を使用する必要があるとしても、これは賃貸人たる原告本人が本件建物を自ら使用する必要がある場合にくらべ、正当事由の存在を認めさせる事由としては、著しく程度の低いものと考えざるをえない。そして鑑定および検証の各結果によれば、本件建物が自然力により損傷甚しく居住に適しなくなつており、早期改築することを利益とする状況にはないことが認められる。

以上の状況を総合して考えると、原告の主張するように「現下の住宅事情からみれば借家の発見は困難ではない。少なくとも被告らは夫婦二人のみであつて、たやすく他に移転することが可能である。」との一般的立言をもつて本件の場合の正当事由の存在を肯定することは、相当な移転先の存在について具体的にこれを認めさせるにたる証拠がないことを別としても、到底理由があるとは解せられない。なお、証人内藤の証言(第一回)、および弁論の全趣旨によれば、原告主張の東京都の買収計画は本訴提起(それが昭和三九年一二月一四日であることは記録上明らかである)前の昭和三八年末までには中止となつたことが認められる。したがつて、ここでは本訴提起により以後解約申入が継続的に行なわれているものとして判断を示しているのであるから、右買収計画の存在を正当事由の判断にあたつて考慮に入れるべきではない。

四、よつて、原告の第一次予備的主張は理由がない。

C  第二次予備的主張について

一、証人柿沼の証言によりいずれも原本の存在および成立を認めうる甲第五号証の一、二、前示のとおり真正に成立したと認めうる甲第二六号証、証人宇山、同柿沼、同内藤(第一、二回)の各証言を総合すれば、被告らの子息が原告主張の各意思表示をしたのではないかと一応思われないでもないが、被告彭君頤本人尋問の結果を併せ考えるとにわかにそのように認定することはできない。のみならず、右各証拠を検討すれば、仮に右のような意思表示がなされたとしても、いまだこれをもつて本件賃貸借契約を解約するという重大な効果をもつ合意が当事者間に、成立したと認めることは到底できないといわねばならない。また、証人柿沼の証言によれば、右柿沼は当時東京都の公務員であつたこと、同人が東京都としては本件建物の明渡の交渉を原告の代理人として行なうことはできないと考えていたことが認められるのであつて、右柿沼を原告の代理人と認めるにたりない。他にも原告主張の各合意が成立したことを認めるにたる証拠はない。

二、よつて、原告の第二次予備的主張は理由がない。ただし、賃料不足分の請求については後に判示する。

D  第三次予備的主張について

一、原告主張のとおりに原告主張の各意思表示がなされたこと、被告らが月額一五、〇〇〇円宛を弁済供託したことは当事者間に争いがない。

二、原告主張の増額請求の効力について

本件建物が現況七六・〇三平方米(二三坪)であり、昭和二三年一二月に新築された当時は五一・二三平方米(一五坪五合)であり、その後昭和二七年に二四・七九平方米(七坪五合)が増築されたものであることは当事者間に争いがない。

証人内藤の証言(第二回)、鑑定および検証の各結果、および弁論の全趣旨を総合すれば、右増築部分は、本件建物中の南側の応接間およびこれに接続する出入口部分であること、右増築部分は本件建物の他の部分ときりはなしてそれのみで独立して使用に供せられる構造とはなつておらず、かつ現実にも右増築部分と他の部分とを併せて本件建物全体が一つとして使用されていること、右増築部分と他の部分とが物理的に一体として結合されていることが認められ、このことと右増築部分の面積と他の部分の面積との割合とを併せ考えると、右増築部分と他の部分は法律上一体をなしているとみるのが相当であり、かつ、右増築以前とその後では本件建物の同一性は失われていないとみるのが相当である。したがつて、本件建物は昭和二五年七月一一日以後に新築に着手した建物ではないと解すべきである。また、本件建物が一時使用のために賃貸された建物であると認めるにたる証拠のないことはすでに判示(A、二の判示)したとおりである。したがつて、本件建物の賃料には地代家賃統制令の適用があると解すべきである。そして、いずれも成立に争いのない甲第六号証の二、三によつて認められる公定賃料の算定に必要な価格および金額に基づき法定の方式により計算すると、昭和三九年度の本件建物の公定賃料は月額一五、〇〇〇円未満であることが明らかである。なお本件物件の賃料については、建物の賃料の場合と異なり、借家法第七条のような増額請求権は認められていないと解する。

ところで地代家賃統制令の適用のある場合であつても、同令により一般に定められる公定賃料をこえて裁判により相当賃料を確定することは可能であり、賃料の増額請求権が行使され、後に裁判により相当賃料が確定されれば、右増額の効力は増額請求の意思表示のなされたときから発生すると解すべきである。ただ、地代家賃統制令の適用がある場合には、特段の事情の認められないかぎり、同令による公定賃料が適法に弁済のため提供されもしくは供託されている場合には、賃借人に賃貸借契約解除の原因となる債務不履行はなかつたと解するのが相当である。

けだし、同令の適用のある場合には賃借人において一般に右公定賃料を相当賃料と考えるのは法的には無理のないところといわざるをえないし、また賃借人に公定賃料以上のものを相当賃料と考えるよう要求することは、一方において公けに賃料を統制し罰則をもつてその実施を強制しながら、他方右統制による公定賃料を越える額を債務不履行の責任を問われないために支払うことを事実上強制することになつて不合理だからである。本件においては、本件建物の昭和三九年度の公定賃料は月額一五、〇〇〇円未満であることは前示のとおりであり、月額一五、〇〇〇円宛が本件賃貸借契約の賃料として弁済供託されていることは当事者間に争いがない。そして、原告の催告した額が月額三〇、〇〇〇円であること、および同時に停止条件付解除の意思表示がなされていること(いずれも当事者間に争いがない事実)を考えれば、原告が一五、〇〇〇円の賃料の支払を受領しない意思は明確であると認められるので、仮に被告らが弁済供託をするにあたり原告に弁済のための提供をしなかつたとしても、右供託は適法であると解せられる。そうである以上、被告らには原告主張の債務不履行はなく、したがつて右債務不履行を前提とする原告の本件賃貸借契約の解除の意思表示はその効力を生ずるに由ないといわざるをえない。なお、本件賃貸借契約の目的物としては本件建物のほかに本件物件も含まれるけれども、鑑定の結果によれば本件物件の一か月の相当賃料は一四八円という少額であるので、前示の判断に影響を及ぼさない。

三、とすれば右解除の意思表示の有効であることを前提とする、原告の本件建物の明渡および本件物件の引渡(引渡が不能のときはこれに代る損害金)ならびに賃料相当損害金の支払を求める主張は理由がない。賃料不足分の請求については後に判示する。

E  第四次予備的主張について

一、修理費を賃料からさしひいたとの主張について

証人内藤(第一回)は、修理費が家賃からさしひかれ、家賃は八〇〇円位しか送つてこなかつた旨を述べているけれども、仮に右のとおりであつたとしても、八〇〇円位しか送らなかつたという期間がどれ位であつたかについては述べていないので、右証言はこの期間の点を認めるための証拠とはなりえない。成立に争いのない甲第九号証の一ないし一三、成立に争いのない第一〇号証の一ないし四、証人内藤の証言(第一回)および被告彭君頤本人尋問の結果によれば、右各甲号証(ただし甲第一〇号証の三は同号証の四の請求書であり、後者の金額のみを算入すればたりる)記載の合計金額相当の修理費が本件賃貸借契約の賃料から差し引かれて、その余が支払われたことが認められる。しかし、右各書証の日付が昭和三七年一一月二一日から同三九年六月三〇日にわたつていることから、右金額の修理費が差しひかれたのは何回かにわたつているものと推認できる。右金額以上の修理費を差し引かれたことを認めるにたる他の証拠はない。

二、本件全証拠によるも、被告らが訴外宇山知博を脅迫したことを認めるにたりない。

三、被告らが原告に対し「名誉毀損だ。損害賠償請求権を留保する。」旨の意思表示をしたとしても、これをもつて直ちに脅迫と評価するのは相当でない。そして原告が不信行為として主張する事実が仮にそのとおりであつたとしても(ただし、右一で判示した事実はそこで認定した事実を前提とし、右二で認めるにたりないとした事実はこれを除外して考えるものとする。)、いまだこれらの事実の存在をもつて、被告らに賃貸借の継続をいちじるしく困難ならしめる不信行為があつたとみることはできない。原告主張の事実以外に賃貸借の継続をいちじるしく困難ならしめる不信行為が被告らにあつたことを推認させる証拠はない。したがつて、その存在を理由とする本件賃貸借契約の解除はその効力を生じない。

四、よつて、原告の第四次予備的主張も理由がない。ただし、賃料不足分の請求については後に判示する。

F  賃料不足分の請求について

以上判示のように本件賃貸借契約終了をいう原告の主張はすべて理由がない。そこで次に原告の賃料不足分の請求について判断する。すでに判示したとおり、原告が被告らに対し昭和三九年八月二六日被告らに到達した書面で本件賃貸借契約の賃料を同年九月分から一か月三〇、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。ところで、鑑定の結果によれば同年九月以降の本件賃貸借契約の一か月の相当賃料は二三、〇〇〇円であることが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、本件賃貸借契約の右増額請求以前の賃料は一か月一五、〇〇〇円であり、右賃料は昭和三三年三月に約定されたものであることは当事者間に争いがない。鑑定の結果によれば右期間内に不動産の価格の著しい高騰がみられ、従前の賃料が不相当となつたことが認められ、原告の右増額請求は借家法第七条所定の要件を充足していると考えられるので、右増額請求は前示相当賃料額、すなわち一か月二三、〇〇〇円の限度において昭和三九年九月分から効力を生じたものと解すべきである。

原告は本訴において従前の賃料一五、〇〇〇円と右賃料二三、〇〇〇円との差額八、〇〇〇円を請求しているので、右請求は原告が本件賃貸借契約が存続するものとして主張した最長の期間の限度内において、すなわち昭和三九年九月一日から、同四〇年六月末日までの間において、正当としてこれを認容すべきである。右賃料増額請求自体を権利の乱用もしくは信義則違反と認めるにたる証拠はなく、この点に関する被告の主張は理由がない。

なお、本件賃貸借契約の目的物には、本件建物のほか本件物件が含まれているけれども、本件物件の賃料については借家法第七条のような増額請求は許されないこと前示のとおりであるから、従前の賃料との差額である一か月八、〇〇〇円の賃料増額は本件建物についてのものであると解すべきである。

G  結論

よつて原告の請求は、昭和三九年九月一日から同四〇年六月末日まで一か月八、〇〇〇円の割合による本件賃貸借契約の賃料不足分(合計八〇、〇〇〇円)を求める限度で理由があるので、これを正当として認容し、その余の請求は理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用し、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 伊藤滋夫)

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